セビーヤはたいへん古い歴史を持つ町なんですね。何しろローマのカエサルが前1世紀にイベリア半島を制圧して、この地を〔ヒスパリスHispalis}と命名しローマの自由都市になってから本格的な都市建設が行われたという話なのでそれだけでも2000年の歴史があります。ここの北西に位置する「イタリカ」という名の古代都市跡からは4万人収容の円形劇場や浴場、広場を中心にした公共建築などローマ時代の遺跡が発掘されています。
西ゴート時代にはここに首都がおかれ、8世紀以降のイスラム時代にここを中心にセビーヤ王国が築かれています。そしてしばらくイスラムの時代が続きますが13世紀になるとキリスト教国のレコンキスタによってついにセビーヤもフェルナンド3世のカスティーヤ王国に奪還されます。その後カスティーヤ王国の後援を得たコロンブスが新大陸を発見すると新大陸との交易の本拠地となったセビーヤの繁栄は頂点に達します。1503年にはセビーヤに「インディアス通商院」が設置され新大陸との貿易を独占することになります。そのころタバコ工場や新大陸向けの貨幣がセビーヤ造幣局で鋳造されました。
そして16世紀になるとセビーヤはスペイン最大の都市に発展し、文化面でもスペイン黄金世紀の中心になりました。セビーヤ大学、インディアス文書館、コロンブス図書館などが相次いで建設され、世界一周を果たしたマゼランやアメリカ大陸を発見したアメリゴ・ベスプッチなどもセビーヤ港から航海に出ました。
伊達政宗家臣の支倉常長に率いられた慶長遣欧使節もセビーヤでエスパーニャ国王フェリペ3世に謁見しました。そして一行はセビーヤの下流15kmほどの場所にあるコリア・デル・リオにしばらく滞在しています。ここには、日本へ帰国せずに残った使節団の関係者らの子孫といわれているハポンJapon姓の人々が数百人いるということです。
余談ですが伝説ではギリシャ神話に出てくるヘラクレスがこの町を建設したといいますし、さらにはアトランティスの流れを汲むと云われる古代タルテソス王国の首都であったと考えられているそうです。(平凡社の百科事典に出てました) |
黄金の塔 |
グアダルキビル河のほとりでバスを降ります。黄金の塔はご覧のとおりユニークな姿をしていました。塔の先端部分の小さなドームが黄色く彩られているだけですが当初は塔全体が黄色いタイルで覆われていたために陽の光に輝いて黄金のように見えたことからこの名がつけられたと言います。レコンキスタの戦いでフェルナンド3世率いるカスティーヤ軍との激しい攻防戦を行った最重要戦略地点だったといいますが周辺の様子にはその面影は感じられません。その当時、河から遡上してくる敵艦をさえぎるために夜間はこの塔から対岸まで頑丈な鋼鉄製の鎖を張っていました、それでこの鎖の破壊を狙った敵との間で熾烈な戦いがここで繰り広げられたという話です。 闘牛場や黄金の塔の見える河岸を後にセビーヤ旧市街の見物に出発します。 |
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マエストランサ闘牛場
スペインで2番目の規模、最も伝統のある闘牛場 グアダルキビル河沿いにあります |
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あのドン・ファンの慈善病院 |
入り口の先に中庭、その奥に病院と付属の教会があるといわれましたがこの入り口を見てもそれほどの歴史的な建物であることとは感じられませんでした。 |
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病院の横にはこのパネルが、
あの、色事師ドンファンのモデルが実は意外なことにこの病院の設立者ミゲル・デ・マニャラという人だといいます。彼が付属の教会に飾るためにムリーリョなどに依頼して描いてもらった死と慈悲というテーマの絵を今でもここで見ることが出来るそうです。
http://www.santa-caridad.org/home.htm |
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左の写真入り口の右に写真パネルがかかっていますね。この方がミゲル・デ・マニャラさんです。 |
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この奥の左手に闘牛場があります |
コンスティトウシオン大通り |
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コンスティトウシオン大通りにはこんなかっこいい路面電車 |
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カテドラル |
スペイン最大のカテドラル世界でも3番目の規模を誇ります。奥行き170m、幅76m、高さ40m鐘楼のヒダルダの塔は高さ98m
セビーヤが13世紀にカスティーヤ国王フェルナンド3世によって奪還されたのちここにあったモスクを150年の間キリスト教会として使っていたそうですが1366年におきた大地震によってセビーヤは大きな被害を受け大聖堂も破壊されました。そして直ちにモスクの土台の上に大聖堂を建設することになりました。このときに教会参事会は「後世の人々が、この建物を建てた人々は気違いのようだと思うほどの巨大な聖堂を建てよう」と決議したそうです。1401年に着工して完成まで100年以上の年月がかかっています。 |
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おしゃれな新しい車両の路面電車が走る聖堂前の大通りには立派な構えの門がありますが特別なイベントのときに開かれるだけで普段はぐるーと迂回して東側にある観光客用の通用門から入ることになります。 |
主門 |
免罪の門 |
西側の電車通りに面した堂々とした門ですが、観光客はここからは入れません。大きな儀式の時だけ開扉されます。 |
北側にある観光客の出口、オレンジの中庭が見えます |
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オレンジの中庭から見上げるヒラルダの塔(左)とカテドラルの正面(右) |
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オレンジの中庭 |
オレンジの木が植えられた中庭、観賞用のオレンジの実が艶やかな色で彩を与えてくれます。オレンジの木の上に美しいヒラルダの塔が聳えています。 |
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ヒラルダの塔 |
元々は12世紀の末にムーア人によってローマ人が築いた土台の上に建てたイスラム教会のミナレットでした。四角いイスラム様式の塔の上に丸い鐘楼が載っています。鐘楼の部分は大聖堂が出来上がった52年後のことだそうです。鐘楼の上に女人像が立っていてこれが風の方向によって回転する風見になっているのでヒラルダ(風見)の塔と呼ばれています。この女人像は高さ4m、重量1.3tという巨大なものです。四角い塔の最上部は展望台になっていて歩いて登ることが出来ます。 |
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カテドラル正面のファザード |
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中庭中央の噴水 |
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西北の礼拝堂のドーム |
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