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向かいはナイル川の中島「エレファンティネ島」右手は旧「オベロイホテル」 |
アスワン |
今日は一日アスワン見物をして夜行寝台のナイルエキスプレスでギザに直行する。夕方までは少しのんびりできそうだ。ヌビア砂漠を無事縦断して2時間半でアスワンハイダムに到着した。ナセル湖を右に見ながらダムを向こうの端まで渡る。川下側はなだらかな斜面で川面は遥か彼方である。案内板によると高さは110mとあるがそれを全く感じない。あまりにもゆったりとした造りのダムと周りの雄大な景色に心安らぐ。
ルクソールから南に200kmに位置しているアスワンは古代エジプトの時代、ここから南のヌビア地方との交易の拠点だった。ナイルの中島エレファンティネ島がその中心で防衛拠点としての役割も果たしていたという。
現在でも南部エジプトではルクソールに次ぐ規模の都市で人口は27.5万人(2008)である。ナセル湖ができたために住む場所を失った多くのヌビア人がこのアスワンに移住している。 また赤花崗岩の産地としても知られ古代の建造物にたくさん使われていた。 |
アスワン周辺の地図 |
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アスワンハイダム |
ナイル川の氾濫防止と灌漑用水の確保を目的として、アスワンダムの直ぐ上流に当時のエジプトのナセル大統領がソ連の支援を受けて国家的事業として建設した、高さ111m、全長3,600m
のロックフィルダムである。アスワンハイダムの完成によって、毎年のように起きていたナイル川の氾濫を防止するとともに、12 基の水力発電装置が210
万キロワットの電力を供給している。ダムにより出現したナセル湖から供給される水は不足がちの農業用水を安定させ、砂漠の緑化も行われた。ナセル湖の漁業は活発で、豊富な水産物はエジプト国内において重要な食料として活用されている。
一方、アスワンハイダムの建設により水没地域の約9 万人といわれるヌビア人を中心とした移住が実施された。また、同じく水没地域にあったヌビア遺跡のアブ・シンベル神殿など多くの古代遺跡はユネスコの援助で移築された。
そしてダム建設によるいくつかの悪影響も出てきている。
1、毎年の洪水がなくなったため、上流からの養土の補給がなくなり、化成肥料に頼るしかなくなっている。
2.西側の砂漠から砂嵐として運ばれる砂に含まれる塩分を洗い流すことができなくなったため塩害が発生している。
塩害の影響は農業に対するだけでなく古代遺跡の土台を崩壊させてしまう新たな問題を引き起こしている。
3.ナイル川から栄養分の供給が大幅に低下したため地中海の漁獲量が減少するという問題が起きている。
4.ナイル川から地中海への流入土砂の減少によってナイルデルタの海岸線の浸食が起きている。 |
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ダムの諸元
▲ 流域面積 : 300万km2
▲ ダムの完成 : 1970年(1975年に運転水位175mに達する)
▲ ダムタイプ : ロックフィルタイプ
▲ ダム高 : 111m (ダム長3,820m)
▲ ダム目的 : 発電210万kw、灌漑 740 億m3、洪水調節、舟運、漁業
▲ 貯水面積 : 6,000km2
▲ 総貯水量 : 1,600億m3 (有効貯水池容量 約1,000億)
琵琶湖の約7.5倍
▲ 年平均流入量 : 2,800m3/s 最大 8,500m3/s(8月) 500m3/s(5月)
▲ 湖面蒸発量 : 約400m3/s
▲ 計画流入土砂量: 約1億 m3/年(流入濃度0.1%) (注)
ダム湖(ナセル湖)
ナセル湖はエジプトとスーダンにまたがる貯水面積6,000km2の巨大な貯水池である。ダムサイト
から貯水池の末端まで約500km、その内上流側の約150kmはスーダン国内に位置する。 |
注:流入土砂は計画の3倍の量に達しており、特に上流部のスーダン管理区域内における土砂の堆積が顕著で、汚濁による環境への影響も懸念されている。
210万kwというと日本の佐久間発電所が最大で35万kwというからこれが6個分という勘定でものすごく大きい。
でも、現在建設中の長野県と群馬県にまたがる神流川(かんな)発電所は揚水式発電所だが、完成すれば最大出力282万kWという揚水式としては世界最大の発電所になるそうだからこれまたすごい。
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ダムのそばにカラブシャ神殿が見える |
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アスワンハイダムの川下側 |
何しろ大きい。幅が広くて長い、日本のダムと全く印象が違う ダムの斜面が緩やかなので水面まで110mの高さがあるといわれてもピンとこない。やはりスケールが大きい。 |
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ダムの横断面 |
ダムサイトの説明板にダムの断面図があった。これを見ると巨大な土手が長さ3.8kmにわたって築かれたのがハイダムであることが判る。コンクリートの構造物を芯にして土と石が盛り上げられている。その膨大な重量で大量の水の重さに耐えている。 |
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アスワンハイダムの川上側
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アスワンハイダムの川下側 |
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アスワン カラブシャ神殿 |
発電所 |
元々はここより40kmほど南の渓谷にあったが水没から救済するためにユネスコが支援して移設した遺跡。このあたりで信仰されていたヌビアの神々にささげられた神殿。ハイダムに近いのに見学なし、もったいない。 |
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アスワンハイダム記念塔 |
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フィラエ島の「イシス神殿」 |
右端の建物がイシス神殿、元はこの緑色の島(アギルギア島)の後ろに見える”フィラエ島”にあったがナセル湖の完成によって水没の危険が迫ったため救済されて移築された。ローマ時代に神殿の閉鎖処置が取られほとんどの神殿が閉鎖やコプト教会(キリスト教)へ転用される危機的な状況の中で最後の砦として残ったのがこの「イシス神殿」だ。イシスはエジプトの母なる女神であり、ホルスの化身である王の母でもある。ホルスを抱き乳を与える姿が後にマリア信仰を生んだと考えられている。
アスワンローダムの道を走るバスからの遠望で肉眼でははっきりと見ることはできなかった。望遠写真を拡大したのがこれ。湖はアスワンハイダムの下流にあるローダムによる貯水湖。 |
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アスワン・ダム(ローダム) |
英国の支配下であった1902年に完成したダムで当時は世界最大であったという。長さ2140m、高さ51m、花崗岩で造られている。城壁のようで見場のいいダムですね。 |
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アスワン・ロー・ダムの川下側 |
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第1カタラクト(急端) |
ローダムのすぐ川下にある狭隘な場所、ダムができる前は激流の難所だっただろう。 |
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ナイル河畔 |
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船着き場の向いの丘には貴族たちの岩窟墓群がみえる |
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ハルーカが行く |
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いつものように遅い昼食 |
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レストランの窓からは美しいナイルの流れ |
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エレファンティネ島ではファルーカも昼の休息 |
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これ、メインディッシュがないね、このあと魚と肉料理が出てきました。結構おいしかった。見た目は飾り気のない家庭料理ですが日本人の口に合う食べやすい食事が多かった。 |
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突然、始まったお誕生日祝いと新婚さんのケーキカット。続いて”ヌビアの盆踊り” 旅行社のいきな計らい。 |
ありがとう!レストランのオヤジさん
ヌビアの人は明らかにエジプト人と違う印象だ。血統的にはエチオピア人に近いのかもしれない。明るくて陽気だ。 |
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川沿いの道には銀行やホテルが並んでいる |
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切りかけのオベリスク |
神殿や記念物に使われた花崗岩の石切り場、古代の石切り場は大規模なものがこの南にもあるようだがここには巨大なオベリスクの”切りかけ”たものがある。 |
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中央の白い斜めに横たわっている石がその”切りかけのオベリスク” |
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写真中央が切り出しかけて割れ目が入ったためにあきらめて放置したオベリスク。ハトシェプスト女王の時代というからハトシェプストさんは随分力が入っていたようだ。計画通り切り出すことができたならば、長さ42m、重さは1168tと推定される。もちろんエジプト最大だ。それにしてもどうやって運びどうやって立てようとしたのかそちらの方が興味深い。 |
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アスワンの町の方向 |
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向かいに見えているのはイスラム教徒の墓地 |
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アスワン駅の周辺 |
スーク |
駅に向かって右手の通りを50mほど歩くと茶色いアーチ型の入口がある。地図によるとここから1kmにわたってお店が並んでいるそうだ。冷やかしに店を覗いて歩く。お土産物と食料品が多い。華やかな色使いはさすがに太陽の国だ。 |
スークの入り口 |
駅に近いこの辺りは建物も小奇麗だ。 |
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アスワンの玄関口
ロータリー前といいたいがロータリーはない。 |
3日間お世話になったバスともお別れ。これも中国製だった。 |
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こちらの女学生も携帯に夢中なようだ |
駅の横にある公衆トイレのような案内所(失礼)観光地のトイレはもっときれいだが・・・ |
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アスワン駅 |
駅舎はご覧のように立派、駅前といえども車も少ない。みなさんのんびり道の真ん中を悠々と歩いている。我々はこれから夕方の寝台列車で12時間以上かけてギザまで移動です。 |
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左右には王名の入っていないカルトウーシュが描かれている、何かの意味が込められているのか?ただ単にデザインとしてのものかもしれない。 |
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駅のホームは日本の地方都市のそれによく似ている。 |
ロビー車はずっと先の方だとか、おかげでこの車両は静か。 |
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一人使いなのでゆったり。寝るときだけ上段にベッドを作ってもらう。一応一等車なのでエアコン付き、簡単な洗面付き。まあ、寝るだけだからいいとしましょう。 |
列車での夕食 |
大変シンプル。しかし、お肉の固いこと一口でギブアップしてパンと手に入れてあったチーズで我慢。アテンダントのハンサムなオジサンに頼んで入手したビールはなんとノンアルコールでした。がっかり。 |
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明日も早朝起床だ。ギザまで直通と聞いていたが夜中に何度か停車していたようだ。その度に目が覚める。 |
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夜明け |
朝日が上がる前に目が覚めて通路側で日の出を待つ。ナイル川に沿って走るためか朝もやが視界を遮る。ギザに近づくとナイルの川面に朝日が映るようになってきた。いい感じの朝だ。 |
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アスワンを出発するときホーム側の窓ガラスは拭いてくれたのだが通路側は汚れたままの状態だった。言い訳にはならないと思いながら良い写真が撮れなくてついつい愚痴が出る。 |
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ギザに近くなると時折ナイル川の水面が見えてくる。 |
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