アルボラフィア(Albolafia)の大水車 |
イスラム時代の水車を復元したもの、グアダルキビル川の水をくみ上げてアルカサルの宮殿に給水するための施設でムーア人の利水技術の高さを示しているといいます。。 |
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ムーア人が建造し12世紀ころに使用していた水車(復元) |
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凱旋門 プエンテ(橋)門 |
この同じ場所にはローマ時代に「ローマ門」ムーア時代には「イスラムの門」があった、そして今の門は16世紀にフェリペ2世の命で建設されている。 |
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サン・ラファエルの勝利の像 |
18世紀のフランス人彫刻家ミゲール・ベデルディギエルの作品。 |
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メスキータ (東南側の壁) |
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元司教館(エピスコパル宮殿) |
イスラム王朝時代のカリフ(王)の宮殿跡に建てられた司教館であった。今は司教博物館になっている。 |
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サン・セバスチャン病院(手前) 観光案内所とお土産屋がはいっています |
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観光案内所前右側はメスキータ |
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メスキータ mezquita |
コルドバはメスキータ、スペインはメスキータ、特徴的な橙色と白のアーチの映像に鮮烈なインパクトを受けます。イスラム建築の真髄が残された美しい建築物をこの目で見ることがこのたびのもうひとつの楽しみでした。 |
メスキータ建設の経緯
イスラム勢力がイベリア半島を制圧した後、785年に聖ビセンテ教会を取り壊してその場所にメスキータ(モスク)の建設に着手している。カリフはアッパース朝に対抗してダマスカスのモスクをしのぐ華麗で大規模な建物をめざした。アブド・アッラフマーン1世から5代にわたるカリフによって規模を拡大していった。
右の図はメスキータの配置図(下の方角が北北西)です
1期の工事では礼拝前のお浄めを行う中庭(今はオレンジの庭になっている場所)を含めて図の黄色の部分Hを建設しました。このとき聖ビセンテの部材を多く使用しているといます。
2期工事では中庭と礼拝堂の橙色Iの部分の拡張に加えて現在鐘楼になっている塔を建設しました。
3期工事でダマスカスのモスクをしのぐ壮麗な建物になります。当時のローマ帝国皇帝に派遣されたビザンチンの職人たちによって行われ、また皇帝からミフラブを飾る美しいモザイクタイルが贈られています。図のJ濃い橙の部分の建設。
イスラム時代の最後の4期目の工事は図の左側の赤い部分とその下の中庭部分を拡張しました。このとき8つの側廊
増築され合計で19となっています。規模としては現在残る180mx180mのメスキータがこのとき完成しています。
レコンキスタ以後キリスト教大聖堂をこのメスキータに造ることについては地元市議会の強い反対があったようですが教会関係者の働きかけによってカルロス5世の承認がおりて行われた。
メスキータの中心に大聖堂を建造するにあたって建設責任者のエルナンルイスはメスキータを台無しにしないために力を注いだといいます。それは、実際にここを訪れてよくわかりました。
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メスキータの配置図
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メスキータの外壁 |
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メスキータの門、繊細なアラベスク模様が美しい |
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メスキータの門2 |
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門の紋章 |
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観光案内所前の郵便ポスト 黄色いポストは日本にはなく珍しいので写しました。 |
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アルミナールの塔 |
モスクのミナレットを覆うように造られた鐘楼、高さ60m、完成は1593年、塔の頂上にはコルドバの守護天使聖ラファエルの像が立っている。 |
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オレンジの中庭とアルミナールの塔 |
イスラムのモスクの頃はサーンと呼ばれた「体を清めるための中庭」と礼拝堂との間に壁はなく、両者が一体となって信者の祈りの場として使われていた。15世紀にキリスト教会として改修するために壁を塞いで中庭と礼拝堂を扉で別け庭にはオレンジの木が植えられた。 またこのとき写真中央に見えるアルミナールの塔をウマイヤ朝カリフのアブド・アッラフマーン3世のときに建てられたミナレットを元に鐘楼として改築している。 |
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棕櫚の門 |
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メスキータの内部 |
棕櫚の入り口の正面奥が最も重要なミーラブ クリックすると拡大します |
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右上の小窓 |
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ミーラブ |
モスクの中で最も重要な場所、聖地メッカの方角の壁にくぼみが造られ信者は此処で祈りをささげます。アラベスク模様で装飾されたミーラブの美しさに言葉もありません。 クリックすると拡大します |
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ミーラブの天井ドーム |
大理石の一枚岩でできているそうです。帆立貝の形をしたドームには幾何学模様とコーランの文言が刻まれている。 |
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サンタテレサ礼拝堂 (参事会会議室) |
ミーラブの左隣に位置するこの部屋も大変豪華です。壁面は見事な幾何学模様で装飾されています。 |
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サンタテレサ礼拝堂(参事会会議室)の天井ドーム |
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中央礼拝堂 |
モスクの中に大聖堂をという願いはカール5世に許可されてか250年の年月をかけてエルナン・ルイスの3世代とディエゴ・デ・ブラベス、ファン・デ・オチョアらによって達成された。しかしこのために美しい多くの円柱が取り払われてしまった。フェルナンド4世とアルフォンソ9世の墓所ともなっている中央礼拝堂をはじめとして50の礼拝堂が造られている。長い年月の間に建築様式も変遷し後期ルネッサンス様式から始まってスペイン・プラテレスク様式チュリゲーラ(スペインバロック)様式まで多彩な建築様式が取り入れられている。中央礼拝堂と聖歌隊席はメスキータの中心に位置しており、1563年から36年間かけて造られた。セビーヤ大聖堂の聖歌隊席の椅子も見事でしたがこちらの方もすばらしいものです。ドウケ・コルネホという彫刻家の作品だそうです。 |
礼拝堂聖歌隊席 写真をクリックすると拡大されます |
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聖歌隊堂と主祭壇の間のメインホールの天井ドーム |
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中央祭壇上のドーム |
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天井から床まで祭壇画が壁いっぱいにかけられています。フェルナンド4世とアルフォンソ9世の二人の王の棺は赤色大理石で作られています。 |
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円柱列 |
柱の一本一本をよく見ると長さや太さ、素材も少しずつ違います。ムーア人がメスキータを建設するとき古い建物の柱を集めて流用したためだそうです。長さの異なるものは中東部の長さで調節しています。 |
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正面がミーラブ
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天井に使われている用材もシリアなどから献上されたもの |
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サグラリオ教区教会 |
南東の一角にある礼拝室、かなり広いスペースで日常的な礼拝はここで行われています。 |
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サグラリオ礼拝室の周辺の列柱は解体修復しているのできれいです。 |
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この天井はキリスト教会として改修後のもののようです。 |
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天井(木製)に刻まれた美しい連続模様 |
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宝物堂 |
サンタテレサ礼拝堂(参事会会議室)の左手を入ると大聖堂の礼拝や司教が使う宝物が展示されている、最初の部屋の中央には聖体の顕示台(エンリケ・デ・アルフェの作)が置かれています。今もキリスト教の祭日に聖体が街を巡る時に使われているそうです。 |
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宝物堂第1室の天井ドーム |
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大司教が儀式で使う杖 |
この部分はコロンブスが新大陸から持ち帰った金をイサベル女王が教会に寄贈して制作させたといいます。 |
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